お侍様 小劇場 extra
〜寵猫抄より

    “不思議ふしぎな大冒険? ”



     4



 その空間に満ちるは、霊気とも精気とも言えない 青々しい気配と森閑とした静寂と。そんな神秘性を冒涜することに通じるからか、あんまり人が分け入らないらしき鎮守の森の奥向きに。この雪深い時期には尚のこと、ただただひっそりと佇むばかりな大樹があって。その長寿から、近隣の里の人らから信仰の対象とされているほどの、そんなご神木の根方には、小さな小さな祠がうずくまっている。最も間近い里では、村の中にも水を司る社や、それを護る巫女が代々住まう社があるためか、毎年の節季ごとに祭るほどもの扱いはされてないようだが。信心深く慎ましい人々から、大事にはされているようで。板壁やら格子戸やら、元は白木だったのが もはや判らないほどすすけて古びてはいるが。雪深い土地に野ざらしになっているにしては、屋根も壁もしっかりしたままの小さな祠のその前で、

 「………。」
 「…えっと。」

 微妙な睨み合いとなっていた人々があって。片やは、近隣のカンナ村に住まうお武家とその家人と、今さっき その祠から飛び出して来たらしい小さなお友達。そして…そんな彼らと向かい合い、素性の判らぬ不審な輩めという警戒をされつつ、どうしたら身の証しを立てられるものかと、ただただ困惑していた男性が一人。相手への敵意も悪意も持っちゃあいないが、見ず知らずの相手へは用心するのが当然だろうと、現状へ焦りながら、そこへの理解もある彼なのは。対峙しているお相手が、日頃 御主として仕えている存在と、見栄えや風貌のみならず、存在感や気概までもが似ておいでだったからかも知れぬ。厳かで重厚で そのくせ 冴えもあってという、それはくっきりした意志のこもった視線でがっしと射竦められては、そもそも精神体である身ゆえ、身動きが取れぬ。

 “どうしたものか。”

 こうまで警戒されているからには、下手に動いちゃあ誤解が深まる。力まかせの逐電という格好で振り切って、一旦姿を晦ますという手も無くはなかったが、そんなことをすれば、得体の知れぬ者が徘徊していると、尚の警戒をあとあとまでも引きずらせかねない。

 “それは不味いだろうよな。”

 自分が疑われたままになるのは仕方がないが、それとは別口の とある懸念もあったがため、敢えてそれは選ばなかったクロ殿で。他の手は…と考え込んだ末、何とか思い立ったのが、

  ―― 自分が本来は何物かを見せること。

 こんな状況では、何を語ってもそうそうすんなり飲んでもらえやしなかろう。ただ、

 『みゃうにゃ、にゃにゃん、みゃう。』
 『………それって本当?』

 少なくとも、久蔵と同居中の小さなクロのことは通じている。その久蔵坊やが、目の前にいるお兄さんの…顔や姿には覚えはないけれど、覚えのある匂いはするようだと不思議がっているのを幸い。自分が出て来たばかりの祠へと後ずさりすると、大人の歩幅で数歩もないほどのどんつき、最も奥向きの板壁へその身を“とんっ”と当てたところが……

 「え……?」

 まずは、その板壁が見せた変化に、カンベエとキュウゾウという、こちらの世界の住人二人がギョッとした。そこは実は、別世界へと通じる洞窟が開く入り口、知る人も限られる、不思議で神聖な場所でもあって。神聖な力によるがため、穢れなき幼子しか行き来出来ないはずなのに。大人なはずの“彼”が触れた途端、迎え入れるための変化が現れたその上、板壁の向こうに透けて見える、薄暗がりの空間へとすべり込んだのと同時、

  用心しいしい警戒していた青年の姿が宙に消え。
  同じ場に、入れ替わりのように 小さな仔猫が現れたとあっては

 さほど揮発性が高かった訳ではないながら。それでも…不審な動きを見せようものならと、腰に提げていた太刀の鯉口へ手をかけるまでという警戒をしていたカンベエが、

 「……。」

 よくぞ その程度で押さえられたもので。こんな奇想天外な現象を前に、お…っという反応か、怪訝そうに眉を寄せつつ表情を止めたのみ。それは静かな様相を示しただけだったお武家の傍らでは、

 「……クロ、なの?」
 「にゃうにぃ?」

 まるで血のつながった兄弟のようにそっくりな、金髪に白い頬と紅色の双眸という端正な顔容を。これまたお揃い、あまりに意外なことへの驚きの表情に染め上げたキュウゾウくんと久蔵であり。そんな二人へ、

 「ええ。」

 何とか理解は取り付けられたらしいと、こちらも安堵の表情になりつつ、苦笑混じりに頷いた、式神クロ殿である。




      ◇◇



目許涼しく、柔らかな笑みの似合う口許は表情豊かで。
疑心を拭ってようよう見直せば、
なかなかに品もあっての、誠実そうな風貌をしておいで。
つややかで深みのある漆黒の髪を、
後頭の少しほど上で結い上げて尻尾のようにし。
さほど暑くはない程度に綿を入れた短めの袷と、
そちらもやや厚手の袴のような下ばきという、
和装をベースにした いでたちながら。
だが、それだけならば寒かろに、
藍色を染ませた濃灰色の袷の下、
袖口や襟元に、内着のそれだろう黒っぽい重ね着の端が覗いていて。
さほど重装備とも見えないが、
この底冷えのする雪景色の中にいて けろりとしているからには、
物資文化の進んだ“向こうの世界”の装備を身につけている様子。
足元も…何の素材かは不明だが、
堅い底のかっちりと頑丈そうな
“靴”を履いているのを見届けた上で、

 「成程の。
  小さい久蔵と同じ世界の住人ではあるらしい。」

ザッと見回したいで立ちを指して、
そこからもお仲間だと伺えるとの確認を
カンベエからいただいたのへは、

 「そう言っていただけると助かります。」

本心から ありがたいことだと解釈したクロ殿だったものの、

 「ただ、私にも何が何やら。」

突然現れた存在へ、不審な奴めと警戒してのこと、
注意を逸らされまいと緊迫が走ったカンベエらだったのだろうが。
そんな彼ら以上に、
早く誤解を解かないと、下手すりゃ刀のサビにされかねぬと
ひとしきり焦ったクロ殿の側の方こそ、
実のところ、
一体何がどうしてこうなったのか、誰かに説明してほしかった。

 「一体どうして、
  このように人の姿に変化(へんげ)したものか。
  実は自分でもその道理が判らないのですよ。」

祠の奥へとすべり込んだことで仔猫の姿に戻れた自分へと、
こちらのお三方が…驚きつつも何かしら納得してくれた様子だったので。
何とか安堵し、再びそこから踏み出して来たクロ殿で。
その身がまたぞろ人の姿へ変化しても、
今度はさすがに先程ほどの警戒はされなかったものの、

 「確か、クロという名の存在は…。」

カンベエがちらりと見やった先、これもお揃いの簑姿の坊やが、
その下へ着ていた着物の懐ろをごそごそとまさぐる。
雪の中に立ちん坊というのはさすがに冷えるのでと、
皆して祠の中に入り込んでの会話となっており、
さほど広い空間ではないので、間近になった格好の見知らぬお兄さんを、

 「…?」

まだ不審だ…というよりも、不思議でしょうがないものか。
幼い造作をしたお顔の眉根を、
一丁前に“う〜ん”と鹿爪らしく寄せつつ見上げている小さな久蔵も。
間近に寄ったクロ殿本人を避けるような態度は見せず、
むしろ、小鼻をちょこっと突き出すと
いかにも子供らしい無遠慮さで、
くんすんとあらためて匂いを確かめているほどで。
そんな様子に気がついたものか、
口許へ苦笑を浮かべたお兄さんなのをしっかり確認したカンベエ殿、
キュウゾウくんが日頃から持ち歩いていたらしい、
一枚の写真を受け取って。

 「成程の、先程の姿はこの黒い仔猫と同じ。」

それは、向こうの島田家の皆様が
身を寄り添わせ合って微笑っているスナップ写真。
お人は二人で、
自分に似ているという壮年殿と、
その傍らに含羞みつつ寄り添うシチロージ似の青年と。
そんな二人がそれぞれの手元へ抱えている小さいのが、
キャラメル色と漆黒の毛並みをした2匹の仔猫。
小さい久蔵が、向こうの世界では仔猫の姿でしか把握されていないらしいこと、
カンベエもシチロージやキュウゾウから伝え訊いていた身であり、

 「小さい久蔵は、
  家人の目には このままの和子の姿でいるそうだが。」

 「ええ。私にもそう見えておりますよ?」

ご当人の幼いお顔を見下ろし、
眼下になっているふわふかな綿毛の上へぽそんと、
指の長い大人の手を載せてやれば。
幼いお顔がたちまち不機嫌そうな感情に染まってしまい。

 「みゅう〜、にゃう。」
 「おっと すまない。」

不満げな声を立てた久蔵が
ぷぷーっと口許を尖らせて。
その傍らでは キュウゾウくんが、
ついのことだろう、小さく吹き出しかかっており。

 「??」
 「ああ、いえ。」

この顔触れの中では唯一、
猫の言葉が分からない身のカンベエに問われ、
クロ殿が苦笑を何とか引っ込めつつ通訳したのが、

 「いつもより大きいからって偉そうだと叱られました。」
 「おや。」

これにはカンベエもくすすと吹き出し、
それへ“皆して笑ったらメェよ”と、
ますますのこと頬を膨らませる久蔵だったことで、
一気に空気が和んだものの、

 「…して。
  お主の正体とやら、訊いてもよしか?」

 「……☆」

流されていいことではない肝は どうあっても外さない冷静さが、
さすがは年の功というところだろうか。
こちらが久蔵と同居する小さな仔猫という存在で、
よって敵意や害意は持ってはいないとしても。
真の正体までは明かしちゃいない以上、
そこをも質そうというのが、

 “油断がならぬというか 容赦がないというか。”

まま、言い逃れていいことじゃあなかろというのは、
クロ殿にも覚悟があったこと。
一同の中、キュウゾウくんへと視線を据えると、

 「向こうの世界の七郎次様にだけは
  内緒にしておいてほしいことでしてね。」

やんわりとした笑顔でそうと前置いてから、
あらためてカンベエの方へと向き直る。

 「実はわたくし、
  向こうの島田勘兵衛様に仕える“変わり猫”なのですよ。」

 「変わり猫?」

意味までは把握出来なんだか、
知的に堀の深いお顔を怪訝そうに曇らせ、
言葉のまんまを繰り返したカンベエだったのへ、

 「はい。」

胸元へと右の手のひらを伏せ、素直に頷いたクロ、

 「吾の御主、島田勘兵衛という御仁は、
  物書きを生業としている姿に嘘偽りはないのですが、
  実は代々、神職に類する家業を引き継いでおいでで。」

例えば巫女や修験者のごとく、
日常の態度や心構えを律し、
修養を収めることで法力を得たり高めたりというのでなく。
血統そのものがそういう性質を持つ権門の存在。
その代その代によって、力には強弱があり、
時代の流れの これもそういう傾向のせいか、

 「自分という“式”を操れるほどの、
  能力や気力を持ち合わす主人は、
  この何代か現れなんだのですけれど。」

今の主人の勘兵衛だとて、
秘術や奥義などなどを
しきたりに則って父上から口伝されたときは。
多少は勘がいい身じゃああったが、
あくまでも手順を学んだというだけの身。
せいぜい、自身の鋭敏さを支える存在のようなものとしか
把握してはなかっただろう“式”だったものが、

 「主人自身の才とそれから、
  この不思議な和子との出会いと、それから。」

そうと言って彼が見やったは、
カンベエの傍らに、
彼のミニチュアのように同じ簑姿でいる少年の方。
今は雪も降ってはないからか笠まではかぶっていないため、
やわらかい金の髪があらわになっていて、
その頭の二か所から1対の猫耳がひょこり立っている不思議な存在。
こちらの世界じゃあ特に珍しくはないらしいが、
そういう差異がある次界からの客人が
行き来するようになったこともまた、
何らかの刺激になったのだろか。

 「御主の意志の力を糧に、
  仔猫という姿ながら、
  実体として在ることが出来るまでとなりまして。」

どの“不思議”が最も強い影響力かは、
クロの立場からは判らない。
また、自分の立場や存在、
他からはどう把握されるものかも、
彼の及び知るところではないらしく。
言うだけ言って、後は澄ましておいでの、
そこだけちょっとばかり浮世離れして見える、
態度というか様子というのかへ、

 「式…か。」

どこまで理解をしたかは不明ながら、
それでも彼なりの把握・納得を呑んだのだろう。
微妙な苦笑を口許へと浮かべ、
もはや疑うことはやめたらしいカンベエだと察し。
それが…見誤りから何かあったなら
自分の一刀で方をつけようぞというおっかない覚悟であれ、

 “自信がなくては出来ぬことだわな。”

あるいは、強靭な自負を基礎とした確固たる責任感というもの、
当たり前の義務として自身へ敷くのを常としている律義さへ。
ああ、そういうところも吾の御主と似ておいでだと、
今度は微妙にくすぐったい感触を感じつつ、

 「ところで。
  あなた方がこうして此処へ来合わせたのは、
  この久蔵坊やが来るの、
  察知してのことじゃあないのでしょう?」

今度はこちらからの質問と、
柔和そうな笑みを口許へ浮かべたクロ殿だったが、
それにしちゃあ、その眼差しが しなやかに強かで。
はぐらかしは利きませんよと言ってるも同然と、
これも言外に察したカンベエ、

 「…ああ。
  実はちっとばかり きな臭い事態の最中にあっておるのでな。」

相手の身ごなしの冴えへ、
何かしら期待した訳ではなかったが。

 敵でないなら重畳と。

こちらのがその態度へ帯びていた警戒という気色、
どうしてすぐさま立ち上げられたのかの
もう一つの事情というの、
あっさりと嗅ぎ取ってたらしいクロの勘のよさへ、
あらためて感じ入ってしまった壮年殿であった。









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 *お題の“大冒険”は
  ちょっと大仰だってことにならなきゃあいいんですが。(こらー)


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